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こんにちは!名張市にある大学受験、高校受験のための学習塾、名張理数研です。本日は代表自ら小論文を書いてみました。小論文は難しいですけど楽しいですね。

 

子どものころに遊んだ『かくれんぼう』は、大人になると遊ばなくなる。なぜなのか。考えるところを601字以上1000字以内で論じなさい。 ’19早稲田大学(スポーツ科学)

 

大人になると『かくれんぼう』をしなくなるのは、人間として成長していく上で発達していく理性や社会性にあると思う。

というのも、我々大人たちも子供たちと同様に『遊び』を楽しむのである。しかし、その『遊び』を楽しむ姿勢は実に理性的で社会的である。ゴルフを例に挙げてみると、ゴルフクラブを購入し、仲間たちとのスケジュールを調整し、ゴルフ場でみなが集うことで、ようやくゴルフを堪能できるのである。さらに極端な例をあげると飲み会である。飲み会の場合、その目的は酒を飲むという行為そのものではなくて、仲間たちと語らうことであることが多い。そんな場合でも「飲みに行こう!」と仲間を誘うのである。実に理性的で社会的である。

一方、子どもたちはどうだろうか。彼らは『遊び』に対して感情的で、その感性を最大限に発揮している。『かくれんぼう』は何の道具もなく、子どもたちが集まれば誰からともなく自然発生的にはじまる。大人たちのゴルフのように最初から『かくれんぼう』をすることが決まっていたということは少ない。ただ「遊ぼう。」というだけでみなが集まり、『かくれんぼう』に限らず、その場で様々な『遊び』が新たに生み出されるのである。そしてこれは子どもが持つ異空間を創る能力に起因していると思う。『かくれんぼう』で隠れた場所は、当人にとっては、世界から完全に隔離された自分だけの世界である。そこに独自の物語を紡ぐことも多い。こうやって子どもたちは目に見える世界の裏側に足を踏み入れることができるのである。『ままごと』で少女たちが即興で物語を作ること。少年たちが裏山の『秘密基地』で作りだす物語。これらはすべて『異空間の創出』なのである。感情や感性をむき出しにして、現実世界の内部にまでえぐりこむことができるのである。この力は大人になるにつれて失われていってしまう。それは人間の本質が理性と社会性にあるからで、避けて通ることはできないのであろう。

人間を人間たらしめるために我々は異空間を創出する力を捨て、理性や社会性を獲得するのである。そうすると『かくれんぼう』に楽しみを見出せなくなる。理性や社会性を確立させた大人たちにとって、『かくれんぼう』は文字通り隠れたまま永遠に見つからない存在なのかもしれない。(940字)