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こんにちは!名張市にある大学受験、高校受験のための学習塾名張理数研です。ここ最近連続して、子どもたちの語彙や知識の乏しさを感じさせるような出来事がありましたので、今日はこれについて語りたいと思います。

 

学校で教わる事が子どもたちの知のすべてになっていないか

日本には外来語として、英語やフランス語をそのままカタカナ表記した外来語であふれています。チキンやパンはその代表例ですね。特に英語は日常的にそのまま使われることも多いです。子どもたちに、日常生活で触れているはずの英単語が出てきたときに、「この単語ふだんの生活で聞いたことない?」と尋ねると、「ありません。」と答えることがあまりに多いです。この際意味を知らないことは良しとしても、聞いたこともないというのは戦慄を覚えます。確かに私自身、中学生のころピロティって何か分からないまま、学校のピロティに集まったりしていましたが、このようなことは学習を進める上では大きな問題となるような気がします。知の源泉が学校や塾だけになっているのは由々しき事態だと思います。

中学までに教わることで、普段の生活の中で身に着くことはかなりある。

中学2年生で理科では天気を教わりますが、普段から天気予報を見ていると、学校の授業で新たに覚えなければいけないことは殆どありません。中3の公民などもそうです。英単語や漢字、熟語なども普段の生活の中で身に着けていれば、新たに覚えることは大きく減らすことができます。本来なら普段の暮らしの中で経験的に身につくことも学校で覚えなければならないから苦労しているのではないかという気がします。

 

その原因は・・・

原因については仮説の域をでませんが、まず情報を得る手段としてスマホが用いられ始めたことが考えられます。自分の興味の対象ばかりの情報を入手して、それ以外の情報には関心が薄くなってしまうことです。スマホなどが現れる前の情報源はテレビや新聞でした。特にテレビは家族で一緒に見ることができたので、ニュースが流れているときにお父さんが子どもたちに、そのニュースについて語る。それだけでも随分と変わってくるものです。一人ひとりが情報端末を持つようになったため、それぞれが自分の世界の情報だけを頼りにして生活してきている。そうなれば知識の幅や深みは生まれてきません。

次に、小学校のころからあまりにたくさんの習い事をしているせいで、時間的余裕が失われてしまうことです。心にゆとりがなければ興味関心は生まれません。そして何より親子で語り合う時間が失わてしまうことです。世代間交流を活発にすれば必ず知識は増えていきます。何も優秀な先生に教えてもらう必要などないのです。お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんが知っていることを子どもたちに語るだけでいいんです。

そのような機会を少なくとも小学生の間は設けていただきたいと思います。普段の暮らしの中で身に着けることのできる知識は、普段の生活で身に着けていくべきです。そのためには周りの大人たちのかかわり方が大切になってくると思います。